卵巣がん…(>人<;)からの腹膜播種

2016年12月、お腹の膨らみや頻尿があり産婦人科を受診すると、卵巣腫瘍発覚。
8割良性と聞き、大丈夫だと思いきや2割の悪性にヒット。
卵巣がんの記録としてブログを始めてみようと思いました。

薬剤性肝炎、黄疸まだ消えず。

2/2内科病棟に移動。

私の体は、みかん色。顔色は死人のよう‥

あとから同室のおばさまが、

『この部屋へ運ばれて来た時は60代くらいかと思った』

て、言われました〰😅まだ43歳ですぅ。


『今はお若くみえるわよ!』

って笑


内科に移動し、婦人科ではしない治療をしてもらい体が楽になっていきました。

やはり、専門医が診てくれると治療内容がガラリと変わります。

餅は餅屋って事ですね。

ブドウ糖の輸液や肝臓を守る薬、低脂質の食事制限。

この頃には口内炎が良くなり食事が出来るようになりました。

1週間ほぼ、飲ます食わず歯も磨けず、口も開かない、喋れない。辛かったです。

トイレにもフラフラと歩いていました。


2/6現在、黄疸は薄まり、体もかなり楽に。

黄疸が出る前からなのですが、手足が、痒く体もあちこち痒みがありました。

足先、指先は凄く痒かったです。

今も軽い痒みはあります。

白目はまだ黄色。目の痒み。不快です。


安静第一に体を休めるのが大事で、肝臓の中の抗がん剤を自然に流れるのを待つそうです。

退院まで、まだかかるかな‥


2月の関西での治療は中止となりました。

薬剤性肝炎、黄疸で黄色い人に‥

1/22に関西から北海道へ戻りました。

すでに口内炎ができ始めていました。

数日の間に口中が痛く、喉も痛くて唾液を飲み込むのも辛く、ゲップも上手く出せません。

体は怠く、ソファで一日中過ごしました。

ベッドで横になると胃液が上がり胸が苦しい。

娘から顔色が酷いと言われて、鏡を見たら黄疸が‥白目が黄色。


1/25耐えきれず、母に病院へ連れて行ってもらいました。

PCR検査は陰性。オミクロンじゃなかった。

車椅子でそのまま入院。


いつもなら、赤血球、血小板を輸血してもらうと体が楽になりましたが今回はあまり回復せず。

3日間、個室でひたすら壁のカレンダーを眺めていました。痛み止めのせい?何だか現実と夢が区別がつかない。体は動かない。一日中、眠い‥。


血液検査の結果、ビリルビンが急上昇していてMRCPと言う検査で胆管の詰まりの確認をしました。

詰まっていたのでは無く、薬剤性の肝炎を起こし黄疸が出ていました。


大阪の主治医には、

『胆管が閉塞したら1ヶ月で死にますよ!』

って言われていたから、本当に怯えていました💦


あのカレンダーを3日間見つめて過ごした日は


自分はあと何日生きられるんだろう‥

終活していない、エンディングノートを書いていない‥

子ども達が困ってしまう‥


そんな事ばかり思っていました。


最初は婦人科病棟に入院しました。

赤ちゃんの泣き声も聞きながら、生と死を考えました。

2/2検査結果により、内科へ移動となりました。

マラソンして帰ったんだね。

私が退院した次の日、Oさんは亡くなったそうです。

苦しまずに眠るように旅立たれたそうです。

看護師さんからお話しを伺いました。


『Oさんの脈がね、マラソン走ってる時と同じ脈だったの。きっと走って東京に帰ったんじゃないかな。


それを聞いて納得しました。

彼女はフルマラソンもする人。きっと思い切り走りたかったんだろうなって。

看護師さんが京都の治療に行く彼女を駅まで送ってあげた時に、QUOカードを頂いたそうです。財布を見ると思い出して使えないと。私も貰った飴玉を食べずに鞄に入れています。溶けちゃうね💦

彼女にとっての食べられる貴重な食事だったから、御守りにして私が辛くて苦しい時に舐めようと思います。


看護師さんの患者さんを思う気持ちに、感謝いっぱいです。T先生の元で働けた事は良かったと言っていました。

めちゃくちゃ暴言吐きまくり、怒りんぼで、人使い荒い先生なのに笑

看護師さんは先生に負けないくらい、時には言い返したり笑

コントを観ているような?信頼関係が出来ていて安心します。


そういうば退院して数日後?の明け方、寝室のドアがコトンと音がして目が覚めた夜がありました。きっと彼女が挨拶に来てくれたんだと思います。

とても律儀な人だったから。

今でもOさんの事を思い出すと涙が出ます。

そして頑張らなきゃなと喝が入ります😊