昨日から大阪に入院中です。
腸閉塞を起こしていたOさん。
ふらふらの状態で腹水も溜まり、辛い体で何ヶ月も入院しっぱなしで月に何度か腹腔内治療に京都に通っていました。
何度か一緒に京都に行き、同じ世代の彼女には元気になってほしいと願っていました。
今回、入院して、『お、少し元気かな?』
と、声をかけました。
『吐き気がする』と良い、せっかく食べていたアイスの実を吐いてしまいました。
そして、ゆっくり話始めました。
治療を止めて家に帰ると‥
それは癌患者が死を待つこと。死に向かうことです。
PET検査をしたら、お腹の中は癌だらけで、治療がもう難しいこと。癌が縮小していたら腸閉塞の手術が出来ると希望をもって、何ヶ月も頑張り続けて来たこと。
あと2、3年続けて治療すれば可能性があるかもしれないと主治医に説明されたそう。
でも‥『私にはそんな体力も気力も無いから』
私は言葉に詰まり、何て言って良いのか分からなかったです‥
ただ背中を、さするしかなかった‥
Tちゃんを思い出しました。痩せて骨があたる背中が一緒で。
彼女は私より歳下で愛想の良い笑顔がステキな人。腸閉塞になって、やはり治療が出来なくなり自宅に帰ったそうです。
私はまだ、腸閉塞の怖さを分かっていませんでした。彼女がそこまで弱っていた事も。
楽しい話をして、笑いあってた。
何も私に言わなかったのは彼女の優しさだったんでしょうね‥
最後の入院の日に患者の皆さんに、お菓子を配っていました。後から、あの日がきっと最後だったんだと。お菓子の箱に『しあわせ』とありました。
皆んなの幸せを願い、彼女がここで一時の幸せを感じてくれていたのかなぁって、今頃思いました。
何にもしてあげられなかった。声もかけられず。連絡先を交換していなかった。
彼女が亡くなったと聞いたのは、会えなくなって三ヶ月程してからでした。
だけど、最後が分かっていたところで結局、何にも言えなかったかも‥
癌の治療は、患者が選択していかねばなりません。特に私たちは標準療法から外れています。
私にその選択が出来るのだろうか‥と怖くなりました。
Oさんは、もっともっと苦しくて辛くて怖いはず‥
たんたんと話してくれたけど、心の中はぐちゃぐちゃかも‥
昨日の朝方、Oさんはトイレの帰りに廊下で倒れていました。
私と同じ部屋の方が、たまたまトイレに行っていたそうで、慌てて部屋に戻りナースコールを押して看護師さんを呼んでくれました。
幸いケガは無かったけれど、寒い冷たい床で何時間も発見されなかったら大変な事になっていたかも。
一気に気力を失ってしまったのかな‥
今日はずっと目を瞑り眠っているのか、苦痛に耐えているのか、声をかけられませんでした。