卵巣がん…(>人<;)からの腹膜播種

2016年12月、お腹の膨らみや頻尿があり産婦人科を受診すると、卵巣腫瘍発覚。
8割良性と聞き、大丈夫だと思いきや2割の悪性にヒット。
卵巣がんの記録としてブログを始めてみようと思いました。

悲しい5月でした。

5月、素敵な彼女が旅立った後に、また悲しい知らせが2つありました。

どうして、こう続いてしまったのか‥。


旦那さんからのLINEでした。

それは詳細にMさんの最期の事を知らせて下さいました。旦那さんが間に合わなかったことも‥。急変し亡くなってしまったこと。

辛かったでしょう。誰かに聞いて欲しかったのではないでしょうか。

とても旦那さんの愛情を感じました。

辛いなか、お知らせ下さりありがとうございました。


Mさんとは一緒に京都のホテルに泊まった事もあります。癌封じのお寺に一緒に行きました。楽しかったなぁ。

最後にお会いした時は、治療後に京都駅まで一緒に帰り、パン屋さんでパンを買って別々のホテルに戻りました。

咳が出ていて原因がはっきりせず、しんどそうでした。

おしゃべりが大好きで話したいけど咳が出ちゃって。

『咳が治ったら、またたくさん話そうね』

って背中をさすってあげたら、

『ありがとう』

って言ってくれました。

ホテルまで見送った時、大きく手を振って『ありがとう!またね。』

って、なんだか可愛いいなぁって思いました。

それが最後になるなんて思わなかった。

今、思い出しても泣けてきます。

この病気は、こんなふうに突然に別れがやって来ます。


もう1人の方は去年の秋頃に転院されて来ました。大阪出身で国際結婚をして海外で長いこと暮らしていた方でした。

単身で日本に戻られました。お姉さんに支えられ、頑張っていました。こちらへ来ときには骨転移もあり痛みがいつもありました。

痛みがあっても笑顔で話されて、穏やかな方でした。

クリスマス入院の時には、美味しいクマさんのチョコレートを頂きました。

私が退院前に面会を看護師さんにお願いしましたが、拒まれてしまいました。

彼女は痛みに苦しみ、死を受容出来ずに悲しんでいたようです‥。

清掃員の方に様子を伺いましたが、『今は会わない方が良いよ』と言われました。

看護師さんも

『痛みは人を変えてしまうから。その人らしさがなくてしまうの。』

と言っていました‥。時折り聞こえていた泣き声や痛みに苦しむ声。なんにも声を掛けてあげることも出来ませんでした。

退院前日に、看護師さんから

『セデーションで眠っているから、顔をそっと見て帰っても良いよ。』

と声を掛けてくれました。次に会えないかもしれないと思いました。

彼女の顔をそっと見に行くと、痩せた体、顔、時々顔を歪ませ痛みを感じているようでした。

小声で

『旦那さんのとこへ帰りたかったかな‥

それとも故郷で、お姉さんと最期を過ごせて良かったかな‥?

大丈夫、大丈夫だよ。先生が痛みをとってくれるよ』

と、伝えて帰りました。

私にはいつか来る、死を受け入れる事が出来るんだろうか?と考えさせられました。

きっと諦めきれないだろうなと。


3人の仲間が旅立った5月。

どうかどうか癌治療が1日も早く前進しますように。