悲しい5月でした。
5月、素敵な彼女が旅立った後に、また悲しい知らせが2つありました。
どうして、こう続いてしまったのか‥。
旦那さんからのLINEでした。
それは詳細にMさんの最期の事を知らせて下さいました。旦那さんが間に合わなかったことも‥。急変し亡くなってしまったこと。
辛かったでしょう。誰かに聞いて欲しかったのではないでしょうか。
とても旦那さんの愛情を感じました。
辛いなか、お知らせ下さりありがとうございました。
Mさんとは一緒に京都のホテルに泊まった事もあります。癌封じのお寺に一緒に行きました。楽しかったなぁ。
最後にお会いした時は、治療後に京都駅まで一緒に帰り、パン屋さんでパンを買って別々のホテルに戻りました。
咳が出ていて原因がはっきりせず、しんどそうでした。
おしゃべりが大好きで話したいけど咳が出ちゃって。
『咳が治ったら、またたくさん話そうね』
って背中をさすってあげたら、
『ありがとう』
って言ってくれました。
ホテルまで見送った時、大きく手を振って『ありがとう!またね。』
って、なんだか可愛いいなぁって思いました。
それが最後になるなんて思わなかった。
今、思い出しても泣けてきます。
この病気は、こんなふうに突然に別れがやって来ます。
もう1人の方は去年の秋頃に転院されて来ました。大阪出身で国際結婚をして海外で長いこと暮らしていた方でした。
単身で日本に戻られました。お姉さんに支えられ、頑張っていました。こちらへ来ときには骨転移もあり痛みがいつもありました。
痛みがあっても笑顔で話されて、穏やかな方でした。
クリスマス入院の時には、美味しいクマさんのチョコレートを頂きました。
私が退院前に面会を看護師さんにお願いしましたが、拒まれてしまいました。
彼女は痛みに苦しみ、死を受容出来ずに悲しんでいたようです‥。
清掃員の方に様子を伺いましたが、『今は会わない方が良いよ』と言われました。
看護師さんも
『痛みは人を変えてしまうから。その人らしさがなくてしまうの。』
と言っていました‥。時折り聞こえていた泣き声や痛みに苦しむ声。なんにも声を掛けてあげることも出来ませんでした。
退院前日に、看護師さんから
『セデーションで眠っているから、顔をそっと見て帰っても良いよ。』
と声を掛けてくれました。次に会えないかもしれないと思いました。
彼女の顔をそっと見に行くと、痩せた体、顔、時々顔を歪ませ痛みを感じているようでした。
小声で
『旦那さんのとこへ帰りたかったかな‥
それとも故郷で、お姉さんと最期を過ごせて良かったかな‥?
大丈夫、大丈夫だよ。先生が痛みをとってくれるよ』
と、伝えて帰りました。
私にはいつか来る、死を受け入れる事が出来るんだろうか?と考えさせられました。
きっと諦めきれないだろうなと。
3人の仲間が旅立った5月。
どうかどうか癌治療が1日も早く前進しますように。
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