卵巣がん…(>人<;)からの腹膜播種

2016年12月、お腹の膨らみや頻尿があり産婦人科を受診すると、卵巣腫瘍発覚。
8割良性と聞き、大丈夫だと思いきや2割の悪性にヒット。
卵巣がんの記録としてブログを始めてみようと思いました。

尿管ステントを入れる事に。

7月15日、尿管ステントを入れました⤵️

膣奥のお腹側の腫瘍が少し大きくなっているのか、肛門の奥のあたりで、たまに軽い痛みがしていました💦

マーカーCEAも10〜20くらいをウロウロ。

(基準値 5.0)

ちょうど腫瘍ができているあたりには、尿管が通っています。


PET-CTも去年同様、肝臓周りの腹膜。

膀胱と腎臓あたりが光っていました。

尿に薬の集積が出ているので、腎臓と膀胱は大丈夫です。ただ、左腎臓の方が集積が大きいから、詰まりかけてないかと?大阪の先生は疑っていました。

内診とエコー検査で膣奥の腫瘍は確認出来ています。


尿管ステントは腎臓の数値クレアチンが高くなっていました。1.3くらい。女性は0.8くらいが上限です。

大阪の先生が


『尿管が腫瘍に押し潰されると癒着して腎臓がダメになりますよ』と‥


すぐに怖いことを言って脅してきます😅

地元にて、エコー検査と尿管の流れを造影したを入れて検査したところ


『入れておいた方が良いね。今すぐ30分もあればできるよ!』


って泌尿器科の先生‥

心の準備も出来ぬまま、


『一応手術だから同意書にサインね〜

麻酔の無い手術だから』


マジか😱痛いやつ〰💦

穴あきの手術パンツに着替えてCTの台にのり、膀胱鏡を尿管から挿入。痛いけど我慢出来る程度。カメラ映像を横目で眺めて、初めて自分の膀胱を見ました。人体の神秘✨

そこから腎臓へ向かう尿管に膀胱鏡が進むと痛みレベルアップ。

まだ何とか我慢出来る痛み。

あまり狭窄も無いからステントが入れられますと。狭くなっていると、ステントを入れるさいに尿管か裂けたりする危険性が⚠️

いよいよステントを留置しようとしたら、痛い!思わず『痛っ!痛っ!』声が漏れちゃいました😭

時間的に短かったけど、下半身に力が入って次の日には筋肉痛が酷い。

仕事は3日程、休みました。

次の日は膀胱が刺激を受けて常に尿意があって、何度もトイレに。尿をすると染みる痛み💦

脇腹も痛みました。

3日目くらいに落ち着きました。

1週間ほどで違和感も無くなり体に馴染んだようです。


3ヶ月後、尿管ステントを交換するそうです😭

NO麻酔、怖いです〰憂鬱。

手術なので、生命保険会社から保険金がでるそうで、それは良かったです💴


残念な事に、クレアチン数値はあまり変わらず⤵️

やはり抗がん剤による腎臓の悪化のようでした。腫瘍から尿管を守る予防対策にはなっているので良しとしましょ💨

悲しい5月でした。

5月、素敵な彼女が旅立った後に、また悲しい知らせが2つありました。

どうして、こう続いてしまったのか‥。


旦那さんからのLINEでした。

それは詳細にMさんの最期の事を知らせて下さいました。旦那さんが間に合わなかったことも‥。急変し亡くなってしまったこと。

辛かったでしょう。誰かに聞いて欲しかったのではないでしょうか。

とても旦那さんの愛情を感じました。

辛いなか、お知らせ下さりありがとうございました。


Mさんとは一緒に京都のホテルに泊まった事もあります。癌封じのお寺に一緒に行きました。楽しかったなぁ。

最後にお会いした時は、治療後に京都駅まで一緒に帰り、パン屋さんでパンを買って別々のホテルに戻りました。

咳が出ていて原因がはっきりせず、しんどそうでした。

おしゃべりが大好きで話したいけど咳が出ちゃって。

『咳が治ったら、またたくさん話そうね』

って背中をさすってあげたら、

『ありがとう』

って言ってくれました。

ホテルまで見送った時、大きく手を振って『ありがとう!またね。』

って、なんだか可愛いいなぁって思いました。

それが最後になるなんて思わなかった。

今、思い出しても泣けてきます。

この病気は、こんなふうに突然に別れがやって来ます。


もう1人の方は去年の秋頃に転院されて来ました。大阪出身で国際結婚をして海外で長いこと暮らしていた方でした。

単身で日本に戻られました。お姉さんに支えられ、頑張っていました。こちらへ来ときには骨転移もあり痛みがいつもありました。

痛みがあっても笑顔で話されて、穏やかな方でした。

クリスマス入院の時には、美味しいクマさんのチョコレートを頂きました。

私が退院前に面会を看護師さんにお願いしましたが、拒まれてしまいました。

彼女は痛みに苦しみ、死を受容出来ずに悲しんでいたようです‥。

清掃員の方に様子を伺いましたが、『今は会わない方が良いよ』と言われました。

看護師さんも

『痛みは人を変えてしまうから。その人らしさがなくてしまうの。』

と言っていました‥。時折り聞こえていた泣き声や痛みに苦しむ声。なんにも声を掛けてあげることも出来ませんでした。

退院前日に、看護師さんから

『セデーションで眠っているから、顔をそっと見て帰っても良いよ。』

と声を掛けてくれました。次に会えないかもしれないと思いました。

彼女の顔をそっと見に行くと、痩せた体、顔、時々顔を歪ませ痛みを感じているようでした。

小声で

『旦那さんのとこへ帰りたかったかな‥

それとも故郷で、お姉さんと最期を過ごせて良かったかな‥?

大丈夫、大丈夫だよ。先生が痛みをとってくれるよ』

と、伝えて帰りました。

私にはいつか来る、死を受け入れる事が出来るんだろうか?と考えさせられました。

きっと諦めきれないだろうなと。


3人の仲間が旅立った5月。

どうかどうか癌治療が1日も早く前進しますように。

闘病仲間の旅立ち

大阪に入院中です。

朝方、8年も闘病されていた方が旅立ちました。

入院初日は痛みで泣き声のような声が個室から聞こえて来ました。

看護師さんに様子を聞くと意識もはっきりしなくて、面会は無理かなと言われました。

3日目、看護師さんに様子を聞いたら、セデーション(鎮静)に入ると‥

その夜は泣き声も無くなりました。

5日目に看護師さんが、容態も落ち着いて、痛みも無く穏やかな状態だからと面会をさせてくれました。



痩せてしまった体だったけど、声をかけると意識がふっと戻り、それは素敵な微笑みでこちらを見つめてくれました。

頑張ってるね、ありがとうってたくさんお礼を伝えました。

とっても優しい明るい方で、自分が腸閉塞で何も食べられなくても、いつもお菓子を配ってくれる方でした。

4日目の夜、病室が開いていたので声をかけに行きました。

少し呼吸が深く、何か伝えたいかのように手を動かしたり。

大丈夫だよ、また明日ねって‥


その日の夜中に彼女は静かに旅立って行きました。私は眠りの中、気づけませんでした。

優しい旦那様と優しい看護師さんに見守られて旅立ったようです。

看護師さんから、とても穏やかな顔で微笑んでたよって聞きました。


死は怖いものだと思っていたけど、彼女の姿を見てたら、私もその日が来るまで頑張ろうと思えました。最後の時までを教えてくれた素晴らしい人で本当に出会えて良かったです。


きっと今は好きな場所に行って、会いたかった人に会いに行って、美味しい物も食べているかなぁ。

教えてもらったオムライスの美味しいお店、コロナ禍が落ち着いたら食べに行って来るからね〜😊一緒に食べよう⤴️

みんなで、あなたの思い出話をたくさんするね。ゆっくりと休んでね🍀